イスラエルのツボ
イスラエルの片田舎から。こちらの日常をのんびりと綴ります。
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きこりこ

  • Author:きこりこ
  • イスラエルの片田舎でのんびりと4児の母をしております。
    2009年夏、ガリラヤ地方で和風旅館を始めました。
    通訳や翻訳の仕事をすることもございます。

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ひさしぶり
昨日本当に久しぶりに(きちんと数えておりませんが多分2週間ぶりくらいに)自分のPCでインターネットができるようになりました。←多分プロバイダの問題
普段各種サービスは本当に遅いです。
でも戦争で停電になったときの電気工事の素早さと、消防車の到着時刻(着弾後数秒で到着)今でも忘れられません。←普段も何でもこう迅速にして欲しいです。ね?



停戦後たくさんの出来事がございました。

まず、家が大変埃っぽくなっておりましたので、大掃除をいたしました。皆さん、そう言っています。
使わない部屋でも結構埃ってたまるんですね。

そして大掃除が終わったころ、避難していたときにお世話になった人たちを招き始めました。
やはり週末に来客が多く、シャバットディナーも重なるのでたくさんお料理を作りました。

そして9月3日には新学期も始まりました。
通常9月1日から始まるのですが、北部の子供達の願い(夏休みを返してください)が少し反映されたのでしょうか。

子供を迎えに行くときに、夏休みの間会わなかったお母さん友達たちはまだ
”(戦争のときは)どこに居たの?”
なんていう話題が多いですが、学校や保育園も始まっていつもの生活に戻ってだんだんと違う話題に変わればいいな、と思う今日この頃でございます。


そういえば久々にインターネットが使えるようになって、最初にチェックしたニュースは紀子様のご出産です。明るい話題で嬉しくなりました。ご出産されたのはこちらのニュースで知りました。


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戦争の爪痕
今日ついに停戦の日になりました。
1ヶ月も庭師さんが来ていなかったものだから、うちの芝はぼうぼうの伸び放題。でも今日は子供達も思い切りお庭を駆け回ることができました。

先週の金曜日の話ですが、Michmoretという海岸沿いの村に行きました。
夫の両親が私達が帰ってきた日にそちらに避難し、シャバットディナーにいらっしゃいというので、ちょっと道中怖かったのですが、そちらに行くことになりました。

スーパーランドの翌日なのに、カチューシャが比較的飛んでこない時間を狙って朝早く出たので、少し疲れていました。そして用事を済ませて両親の避難先のお家に3時ころ着きました。
ちょっと一休みしてから荷物を降ろそう、、、そんな軽い気持ちで車から降り、夫と次女と部屋で一休みしていたときのことでございます。

義弟が
”(きこりこ夫の車が)車上荒しに遭ったぞ。”
と言いました。
飛び起きて外に行って見ると助手席のガラスが割られて、中にあったものが盗まれていました。

あ、、、、

しまった


幸いハンドバッグはもって降りていたものの、、、
とっても大事なものを車に置いたままでした。

実はこの戦争で最後の手段だけど、海外に脱出しなければならないことがあるかもしれない、、、と思い家族全員のパスポートをまとめてHello Kittyのバッグに入れておいたのですが、なぜかその日それを持ってきてしまい車にいれたままだったのでございます。←泥棒さんはGPSと主人の高級サングラス2つとなぜかその子供っぽいバッグを盗んでいきました。


今日大使館に電話をし、こんなことがありまして、、、と話をしました。

 ”で、(子供達の)イスラエルのパスポートはありますか。”
と聞かれました。
 
”イスラエルのパスポートもそのバッグの中に入れてあったんです。”

”あは♪” 
 (確かにこう聞こえた)←大使館員さん



、、、、そうですね。おかしいですね。

あは、あは、あ~っはっはっはっ、、、、。


、、、は~っ、、、、。



戦争に関してはすごく慎重に国外脱出まで想定していたのに、、、普段田舎に住んでいる私達には泥棒さんは全く予想外でございました。

実は避難中夫が免許証とクレジットカードと(なぜか)靴をどこかに置き忘れてきてしまいました。多分あっちこっち行き過ぎて夫も混乱していたのかもしれません。

夫は
”今回の戦争は本当に高くついたな~。”
と言いました。


こんなことくらいですんで良かったと思うしかないのかもしれませんけれど。ね?

知人の家↓


20060815002134.jpg



暗くてわからないかもしれませんが、屋根からロケット弾が突き抜けました。窓ガラスは全部割れています。

テーマ:イスラエル - ジャンル:海外情報

スーパーランド
先週の木曜日Rishon Le Zionにあるスーパーランド(遊園地)に行きました。
戦争が始まってから、村の住民を連れて行ってくれる無料バスの子供向け日帰り旅行が週に2回ほどあります。
Shefaimのウォーターパーク、Tel Avivのルナパーク、Ramat Ganのサファリパークなどに連れて行ってもらえます。
比較的カチューシャが落ちてこない時間を見計らい出発し、夕方運転手さんが北部と連絡を取りながら帰ってきます。←行き帰りは北部に近づくにつれ正直ちょっとハラハラします。

スーパーランドでは子供達が思い切り遊んで、北部での緊張を忘れさせてくれる楽しいひと時となりました。

スーパーランド↓

July2006warsuperland.jpg


この旅行代のお金はJDCからの寄付だそうです。

避難しているときも北部の住民だと言うと、割引してくれるお店や、サファリや映画など無料で入れるところがたくさんありました。

北部に残った人にはお弁当も配給されるようになりました。

お弁当↓

July2006warobento.jpg


ちょっと地味な機内食のようですね。

こういった小旅行、お弁当や、公共シェルターで行われるショーなどが戦争での緊張を和らげました。

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おうちに帰りたい
数日前のことです。

避難生活も2週間半に入り、不便なこともあるけど、休暇だから、、、と気持ちも切り替え避難生活が板についてきたそのとき

”うちに帰りたい。” 
 


と夫が言い出しました。

やっぱり、、、、。←こういうわがままは子供より先にいつも夫が言い出すんでございます。

主人は3日おきくらいに私達を残して家に帰っていましたが、ついに子供も一緒に家につれて皆で帰りたいと言い出しました。

”こんな状況で家に帰っても危険だし、不便だし、なんといっても子供がかわいそうよ。”

と言いました。でも夫は

”疲れたんだよ。家に帰る。”

と言うばかり。しまいには口論になってしまいました。←家庭平和までも脅かす恐るべき戦争。

しょうがないわぁ。疲れた夫の気持ちがわからなくもないのでございます。

ヘルツェリア近くのキブツに身を寄せていたものの、この2週間半で訪れた所と言ったら、死海をはじめ、Rehobot, Azur, Kfer Saba, Hod Hasharon, Tel Mond, Herzeriya, Tel Aviv, Holon, Bat Yamと、普段なかなか訪れられない友人、親戚を次々と訪れました。
そりゃ、疲れますね、、、。

しかし、こんなことで口論していたらナスララの思うツボ、、、と思い、

”はいはい、帰るのね。
もうこうなったらどこまでも一緒に行ってあげますけど、子供達のことを守らなければいけないってことは忘れないで下さいね。”


と言いました。夫は嬉しかったのか、そのあとどこに行っても

”きこりこは俺とどこまでも一緒なんだって。”

とニヤニヤしながら話しました。 ←単純

そしてその晩お世話になっていた、友人夫婦ともう一組の避難組み夫婦とお別れ会をしようということになりました。
子供達を寝かしつけ、ヘルツェリアのArenaにあるパブに行きました。Arenaに着くと入り口の所にナハマンの信者さんたちがお守りみたいなのを売っていました。
私はそれを買って首にかけ、今晩北に向かうのね、とちょっとしんみりしながらビールを飲みました。

夫は家に帰るのが嬉しかったのか、しゃべるわ、飲むわで、運転できなくなってしまいました。がくっ。
そして友達の家に着いたのですがすぐに寝込んでしまい、出発は次の日になってしまいました。気が抜けるきこりこ。

次の日、朝起きると早く早くと夫はせかせかしていました。
”昼はカチューシャがたくさん落ちてくるから、夜出ましょうよ。”
と言いました。すると
”そんなこと言ってたらまた次の日になっちゃうんだよ。”
と夫が言いました。 ←昨日飲みすぎてうんてんできなくなった人がどうしてそんな勝手なことばかり言えるのでしょーか、、、。



そしてHaderaで用事を済ませ、お昼ちょっとすぎ、家に帰る途中のことでした、
義弟、義母、義父から次々と電話がかかり、私達の住む村の入り口に着弾し、入り口が炎の海、村中停電でパトカーやら消防車やら大騒ぎで帰ってくるべきではないと言いました。

夫は皆に
”今帰る途中、すぐ着くから。” ←頑固
と言いました。
私は
”今本当にムリして帰るべきだと思う?”
とだけ言いました。
夫はちょっと難しい顔をして、しばらく考えているように見えましたが、Zickron Yakovまで来るともと来た道を引き返しました。
そしてHaderaの友人に電話すると、じゃ、ちょっと寄っていけば、という事になり、おじゃますると、じゃ、ちょっと泊まっていけば、といことになり2晩ほどおじゃますることになったのです。

そして金曜日の晩のことでした。テルアビブ近くのお友達の所に夕食に招待されました。それで荷物をHaderaのお友達のおうちに全部置いたまま出かけ、シャバットディナーをいただいているとHaderaにミサイルが落ちたという連絡が来ました。
HaderaはHaifaより南の町で、被害はありませんでしたが、レバノンからミサイルが飛んできたのは初めてだったのでとても衝撃的でした。

どこに行ってもロケット弾やミサイルが飛んできますか、、、、。

だいたいナスララがテルアビブへの攻撃を言及していますしね。

もうこうなったらいっそのこと北に帰ったほうが、カチューシャ程度で済むかもしれません。ね?

北にしようか、南にしようか、、、ええ~い、北!みたいなのりではございますが昨夜シャバット明けに北に向かいまして、家に戻ってまいりました。

やっぱりおうちはいいわぁ~、と思ったりしながらもシェルターを行ったり来たりのちょっと不便な生活がまた始まりました。




避難生活
北部はかなり危険な状態ですので、思い切って避難することにいたしました。
避難生活を始めてもう1週間半くらいになります。

売ろうと思っていたキャンピングトレーラーがとても役に立ちました。
親戚やお友達にも沢山おいでコールをいただいて大変ありがたく思いました。

今はヘルツェリア近くのお友達の所をベースにしていますが、今週はじめは戦争前に予約してあった死海のホテルに数日泊まりました。
帰り道は招いていただいたお友達のうちを周りながら楽しく過ごさせていただいております。

お見舞いをいただいた皆様ありがとうございます。
少し家には戻れないかもしれませんが、皆元気に過ごしております。
とりあえず夏休みですし、ちょっと長めのバケーションだと思って楽しむようにしています。



日本の家族から電話があって
”なんだか心配で眠れない。”
と言いました。
私は
”私が眠れてるのにあなたが眠れなくてどうするの。”
と言いました。

よく眠れております。



シェルター生活の時にやはり日本の友人からも電話をいただいて
”ご飯食べられてるの?”と心配していただきました。
”することがなくて食べてばっかりなのよ。猛ダッシュで買い物も済ましたし、大丈夫。”
と言いました。

本当によく食べております。



北では大変なことになっておりますが、2時間くらい車を走らせたら、ここが同じ国かと思うほど平和でした。
ただ狭い国ですからよく人々の話を聞いていると皆親戚や友人が避難していたり、戦争に行ったりしていますね。


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